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空間考 – 展示会・交流会リポート

陶芸家の中村豊先生をお招きし、ワタリグラススタジオのガラス作品とコラボレーションした企画の展示会が、はりいしゃにて開催されています。

6月10日(土)の夜は、ギャラリートークという位置付けで、盛り上げ隊と中村先生の交流会がありました。

展示会の様子

はりいしゃの空間が全然違った雰囲気になっています…まさに空間考。

古いものを使っているけど前衛的。中村さんの展示には時間軸があります。

ワタリグラススタジオ公式FBより抜粋

今回の展示会の様子は、上記ワタリグラススタジオの公式コメントの言葉に、ぎゅっと凝縮されています。

中村先生の作品は、主に陶芸ですが、陶器の水指に漆の塗り蓋を合わせたもの、流木、線香で紙を刳り貫いたという掛け物、それから筆による書き物、行燈など、多岐に渡り、「空間そのものが作品」という言い方をして良いのだと思います。

この古民家で心地良く過ごすために考えられ、今回は特に「水」をテーマにした作品が選別され、そこにワタリグラススタジオのガラス作品も並べられました。

ちょうど、中国の五行とされる「木」、「火」、「土」、「金」、「水」の要素がバランスよく存在しているなぁ、という恐れながら僕の個人的な感想を先生に伝えると「その通りなんだ」と仰って頂けました。

入口の行燈には、水の宇宙観を詠んだような詩が、先生自身が手に取った筆によって書かれています。

縁側の通路には中村先生の花瓶と、ワタリグラスの鉢などが、交互に並びます。その天井からは、ワタリグラスのランプが吊り下がっています。

奥の部屋の右手には中村先生の水指が並び、正面にメインの作品である掛け物があります。

メインの作品は「水」の象形文字を、線香で紙に穴を穿ち、刳り貫いたという掛け物でした。掛け物の前には、自在鉤で吊るされた流木と、ワタリグラスの花入れが配置され、また足元にはハートを象った水指が置かれました。その水指のつまみは漆の塗り蓋で、持ち手にやはりワタリグラス製の「天使の羽根」が象られていました。

(メインの作品である掛け軸は、DMの表紙の写真に使われているものです。)

※写真撮影: 長谷川渡

「見立て」の文化

中村先生の物作りに対する姿勢を理解するには、茶道や華道における、日本の「見立て」という道具観が重要になってくる、ということを先生ご自身から伺うことができました。

それを僕の言葉で置き換えて説明すると、どこまで正しい説明になるか分かりませんが、つまり「見立て」とは、そこにある空間(物)を、始めて道具として捉えること。例えば、ただの木の板切れを「皿」に見立てることもできる、というのです。

ワタリグラスの作品の一つである「大鉢」は、元々、水仙を飾る用途を意識して生まれた器ですが、今回は水草とメダカを入れて展示されました。そこに、僕はいつもスタジオで見ていた作品とは違い、はりいしゃに馴染んだ、新鮮な「和」の印象を感じ取ることができました。

それには、その大鉢が配置された空間的要素(見る人の目線の高さなど)が重要になってくるのです。西洋では目的用途から道具が生まれますが、日本では、そこにある空間(物)に用途を見出すことができるのですね。まさに、空間考。

また、今回ははりいしゃの縁側につながる襖を全て取っ払って、花瓶などが展示されました。これは、逆光で作品を見ることで、深い陰影を味わえる、という長谷川のアイディアだったそうです。

交流会の様子

交流会は、中村先生とワタリグラスの器をふんだんに使った、何とも贅沢な食事会となりました。
話題は必然的に、アートとは、陶芸とは、仕事とは、といった核心に迫っていきます。

以下、これも個人的な感想であり、読み手の方には全体の話の一部であると理解していただき、書きたいと思うのですが、僕にとって一番魅力的だったお話は、中村先生の「アートとは何か?」という問いかけから始まりました。

「遊び心の延長で、何かを作る行為かな。」
「作るという行為の中で、自身の成長を感じる。」

など、隊員の中から、いくつかの答えも出ました。
ですが、先生の仰るには、アートとは、「神に捧げる行為」であるとのこと。
話は越前海岸の各地区の祭り、神楽の話などに発展し、価値のある文化が残っている、という評価をいただきました。

また、「陶芸とは?」という問いかけから発展した話も興味深かったです。
先生は、石が風化したものが「土」であり、それに「炎」を加えると再び「石」になる、ということを仰っていました。
石に限らず、自然界の存在は酸化や風化を経て、死を迎えることを、「土に還る」と表現します。
それに「炎」を加えることで、再び生の素材となり、器となるのが、「陶芸」だと言うのです。
先生は、焼き窯を「子宮」に例えることもできると言います。

縄文土器の存在からも分かるように、陶芸は最も古くからあるアートなのだという話もお聞きしました。
自身の作品もまた、長い年月を経た時代の先にも、価値のあるものであってほしい、ということを常に考えて、創作に向かわれているとのことです。

そういった話の流れから、「仕事とは何か」ということも問われました。
お金を稼ぐのは「職業」。「仕事」とは、自分を活かして働くこと。
そんな話も伺うことができました。

利便性を捨て、身近なものを大切にする

中村先生と、いよいよ「地域」や「社会」というテーマで話をすることになっていきました。

盛り上げ隊にとって、また地域にとって、「はりいしゃ」の存在意義、展示会企画の在り方、そのための道筋や工程については、僕たちも全員沈黙してしまうような、厳しい問いかけをされてきました。

「次に繋がる、互いを成長させる機会にならなければ、企画を立てる意味がない」というような、強い言葉を残されました。それは、隊員個々人が持ち帰って、真剣に考えるべき、厳しい問いだったのです。

しかし、そのような厳しい問いかけをされる中でも、先生が常々はっきりと仰っている「利便性を捨て、身近なものを大切にする」という、ある意味極めてシンプルな社会の在り方・生き方と言える答えは、僕たちがこの過疎地で生きると決めた根源的な理由と合致しているのではないか、と僕は思いました。

言い換えれば、この土地で生きていく強みとは、利便性に捉われず、身近なものや人を大切にできる、ということなのではないでしょうか。

この記事に出てきた人

隊長 / WATARIGLASS studio 長谷川渡

国見地区出身で、一度故郷を離れるも、Uターンして戻ってきた。
WATARIGLASS studio を運営する吹きガラス職人であり、我ら越前海岸盛り上げ隊の隊長。尖った人物の多い隊員達をまとめるだけあって、その眼差しは鋭いが、時にお茶目な一面も見せる。決して口数は多くないが、情熱を内に秘め、過疎化が進む越前海岸エリアの振興に尽力。

隊長補佐 / WATARIGLASS studio 長谷川陽子

大阪府出身で、隊長長谷川渡と結婚し、Iターンで移住した。
自身も WATARIGLASS studio の吹きガラス職人でありつつ、仕事に、家庭に、地域活動にと、夫と二人三脚で越前海岸エリアの振興に尽くす博学・聡明な妻。

この記事を書いた人

システム担当 / Qwel Design 伊藤大悟

2019年末頃、東京都町田市からIターンで移住。
Qwel Design (クヴェルデザイン) として、web・システム制作、子どもプログラミング教室等事業を個人で運営。妻は版画ゆうびん舎を運営するおさのなおこ
隊内ではシステム担当で当サイトのwebマスターを担い、熱く実直に組織改善、地域課題にも向き合う。